大阪高等裁判所 昭和24年(を)3926号 判決 1950年2月23日
被告人
足立行男
外四名
主文
本件各控訴を棄却する
理由
弁護人井藤誉志雄、同竹内信一提出の控訴越意書第一点について。
(イ) 所論昭和二十一年六月十二日勅令第三百十一号は昭和二十年九月二十日勅令第五百四十二号に基いて制定されたものであるが、右勅令第五百四十二号は旧憲法第八條に基いて発せられたいわゆる緊急勅令であつて次期の第八十九臨時議会に提出され、その承諾を得たのでその後は旧憲法上実質的にも形式的にも法律と同一の効力を有することとなつたのである。そして旧憲法上の法律はその内容が新憲法の條規と牴触しない限り新憲法の施行と同時にその効力を失うものでなくなお法律としての効力を有するものであることは新憲法第九十八條の規定によつて窺われるところであり、右緊急勅令は勿論之に基く勅令第三百十一号もわが国がポツダム宣言を受諾して降伏文書の定むる降伏條項を実施するため適当と認むる措置をとる連合國最高司令官の発する指令を履行するに必要な措置として制定されたものであつて、降伏條項の誠実な実施は降伏文書に基く法律上の義務の履行であるから新憲法の條規に反するところはなくその効力を妨げられないのである。從つて右緊急勅令並にその委任によつて制定された昭和二十一年勅令第三百十一号は所謂日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力に関する法律(昭和二十二年法律第七十二号)とは何等相関するものではなく、同法律の一部を改正する法律によつて第一條の二として追加された規定は当然のことをただ注意的に規定したにすぎないのであるから、この規定自体の無効を主張する所論はそれ自体無意味であると云うの外はない。
(ロ) 罪刑法定主義とは「法條なくば犯罪なく、法條なくば刑罰なし」との原則を示すものであつて、罪と罰とが前もつて法律によつて、定められていることを要することを云うのであるが前記勅令第三百十一号第二條によれば第一項に」占領目的に有害な行爲から成る罪に係る事件」と云い、第三項に「占領目的に有害な行爲というのは、連合国最高司令官の日本政府に対する指令の趣旨に反する行爲云々及びその指令を履行するために、日本政府の発する法令に違反する行爲を云うのである」と説明し第四條にその罰則をおき、明らかにその法條に罪と罰とを掲げているのであるから、所論のいわゆる空白刑法でないことは勿論指令以前の行爲にこの罰則を適用すれば罪刑法定主義に反しこそすれ、指令発布後この勅令が制定公布されるまでの間に九箇月の日時を経過していることを捉えて罪刑法定主義を云爲する所論は当らないし、又この勅令第三條に云う指令は勅令制定後発せられたものでなければならぬとの所論は法文が指令の時期について少しも制限を附していないところから見て何等根拠なき主張であると云わねばならない。しかも政府は法律の要求する以上の措置に出て前記勅令所定の構成要件の一部である一九四五年九月十日附言論及び新聞の自由に関する覚書の内容を一般國民に周知徹底させる目的の下に昭和二十一年八月二十四日附官報第五八八四号を以てその彙報欄に官憲事項として昭和二十一年勅令第三百十一号に関する件、覚書宛先日本政府経由終戰連絡橫浜事務局、発信者連合国最高司令官、件名言論及び新聞の自由に関する件と題し右覚書の内容を掲載し、これを発行したのである。論旨は理由がない。
第二点 (イ) について
(ハ) しかし、前記言論及び新聞の自由に関する覚書第三項にいわゆる風説は必ずしも連合国に関する虚僞又は破壞的な風説たることを要しないものと解する。このことは、前記官報に掲載してある言論及び新聞の自由に関する覚書第三項は「論議し得ざる事実は (1)公式に発表せられない連合国軍隊の動靜、(2)連合国に対する虚僞又は破壞的批評 (3)及び風説等である」と規定し、アラビヤ数字で各事項ごとに番号を附し各個の事項がそれぞれ独立したものであることを明記し一般国民をしてこの点につきいささかの疑義を生ずるの余地なからしめる措置が採られているのみならず、連合国の一九四五年九月十日附前記覚書正文の文理解釈に徴するも明白である。論旨は理由がない。
第二点 (ロ) について
しかし、右覚書に云う風説を論議するとは確実な根拠なくして連合国の管理下にあるわが国の公安を害するおそれのある事項を他人に対し自己の見聞乃至主張として表明し以て風説を論議の対象としてとりあげることをも含むものと解すべきである。
このことは、前記覚書は言論云々と題し、その第一項において出版物等による公安を害するニユースの頒布を禁じ、その第五項において公安を害する報道を爲す出版物又は放送局に対しては発行禁止又は業務停止を命ずる旨規定していることとこの覚書は一方において言論発表の自由を尊重すると共に他方において一定の取締をなすため手交された経緯から、容易に理解されるのである。従つて、被告人等がそれぞれ判示のように口頭又は文書に記載して自己の見聞乃至主張を他人に対しこれを了知し得べき状態においた以上いわゆる風説を論議したものに該当するのである。論旨は理由がない。
第二点 (ハ) について
(ニ) しかし、昭和二十一年勅令第三百十一号にいわゆる指令とは連合国最高司令官の発する一切の指示命令を指称し、その指示命令なりや否やはその内容によつて定まるのであり、それが指令と題されたが覚書と題されたかと云うような形式によつて決せられるものではない。現に一九四五年九月二十二日連合国最高司令官が発した指令第三号を最後としてその後における指示命令はその内容の軽重を区別せず覚書と題する文書を政府に手交して指示を与えているのであり、しかも、一九四五年九月二十七日附新聞及び言論の自由えの追加措置に関する覚書第七項において、同月十日附言論及び新聞の自由に関する覚書並に同月二十四日附新聞の政府からの分離に関する覚書のことを「指令」と指称しているのである。
論旨は理由がない。
(弁護人井藤誉志雄、竹内信一の控訴趣意)
一、原審裁判は無效の刑罰法規を適用して有罪を云ひ渡してゐる。則ち原裁判所は本件事案に対し昭和二十一年勅令第三一一号第四條第一項第二條三項千九百四十五年九月十日附連合国最高司令官の日本国政府に対する言論及新聞の自由に関する覚書第三項に該当するものとし有罪を云ひ渡して居るが
(イ) 右勅令は旧憲法第八條に基き昭和二十年九月二十日勅令第五四二号「ボツダム宣言受諾に伴ひ発する命令の件」に拠り発せられたものであるが新憲法が施行せられた今日その精神に反する緊急勅令從つてこれに基きて発せられた右勅令は仮令日本国憲法施行の際現に效力を有する命令の規定の效力等に関する法律第一條の二の定めがあつたとしても此一條の二自体が新憲法の精神に反し効力あるものではない。
(ロ) 若しそうでないとしても勅令第三一一号第二條三項は所謂空白刑法である。これは罪刑法定主義の形式から見る時は確かに憲法違反であるが又立法技術上止むを得ない場合は寧ろ罪刑法定主義に依て來る程の精神に見てこれを有効とすべきもの否これこそ罪刑法定主義の原則に則るものと云ふべき事に付ては弁護人もよく諒解してゐるけれどもそれは実に立法技術上止むを得ない場合の事であつて如斯するより他に方法のない場合であつて然も如斯するも罪刑法定主義の要請に反する処がないと考へられる時に於てのみの事である。
空白刑法も又刑法の一つの形であるからとの理窟を形式的に振廻はして政府機関が單なる自己の便宜の爲に若しその必要もないのに空白刑法の形に於て刑罰法規を作るとすればそれこそ大変でこれは絶対に憲法違反でありかゝる刑罰法規は無効であると云はなければならない。
然るに今原審裁判所が本件事案に擬してゐる言論及新聞の自由に関する覚書は右勅令三一一号が(昭和二十一年六月十二日)発布せられるより以前千九百四十五年九月十日(昭和二十年九月十日)に己に政府はこれを受取つてゐるのであるからこれを九ケ月も后に制定した空白刑法の内容にするのは決して立法技術上止むを得ない場合には当らない故に此勅令三一一号の所謂空白部分を充たすものは此勅令が制定せられて后に日本政府等に命ぜられた事項でなければならない。若し然らずして前記覚書をもこれに含むものであるとするならばそこそ必要以上に罪刑法定主義の形式を破るものであつて違憲であり無効であると云はねばならん。如斯考へて來ると本勅令は前記覚書を含まずと云はねばならず然らば前記覚書は未だ刑罰法規を以て其拘束力を保障されて居ないものであると云はなければならない。
則ち含むとすれば其含む範囲に於て勅令は無効である。
又含まずとすれば刑罰法規がないと云ふ事になる。
二、若し右の考へが問違つてゐるとしても原裁判所は刑罰法規の解釈を誤つて有罪を云ひ渡してゐる。
(イ) 前記覚書三項は
「公式に発表せられざる聯合国軍隊の動靜、聯合国に対する虚僞又は破壞的批評及び風説は之を論議することを得ず」
と定められて居る、今此処に問題となるのは「及び風説を論議することを得ず」と云ふ処にあるのであつて此風説は聯合国軍の動靜又は聯合国に関する風説であると解すべき事はこれを最も素直な読み方であつて原裁判所が此風説は必ずしも聯合軍又は聯合国に関する風説でなくても少くとも占領目的に有害な風説であれば則ち罰すべきものであると解すべきであると云ふのであるが、今此処で論ぜられてゐるのは何が占領目的に有害な行爲になるかと云ふ事なのであつてこれでは全く問を以て答にした樣なものであつて到底納得できない、尤も虚僞であつて治安を害する樣な風説は占領目的を害すると説明されて居るけれども占領目的を害する行爲は必ずしも勅令三一一号に定めたもののみではなく或は広く一般に犯罪とされて居る行爲は全部占領目的に有害であるとも云ひ得るのであつて要は勅令三一一号に云ふ占領目的に有害な行爲從つて覚書三項に云ふ風説が占領目的に有害な行爲なのであり此風説とは何んな風説かと云ふ事を考へてゐるのである原審裁判所は官報に掲載された時特に区きりをつけて
「及(3)風説」
として居る事から此風説は聯合軍又は聯合国に関連しないものと解すべきであると云ひ且つ覚書の正文の文理解釈からも明かであると云ふけれども
右の如き区きりをつけてある事は必ずしも原裁判所の云ふ如き意味に解しなくとも弁護人の云ふ如く解しても又立派に其意味はある則ち
(1) 軍の動靜
(2) 批評
(3) 軍又は國に関する風説
と解し得べく又斯く解するのが最も妥当である。
又覚書正文を持ち出してゐるけれども日本政府が日本人民に履行を要求し得るものは日本文で書かれたものであるからこれは全く論ずるに足りない。
(ロ) 次に右覚書には風説を論議してはならないとある所謂壁新聞を掲出したのが論議したものであると云ふのはあまりにも文理解釈を無視して居る。
(ハ) 勅令三一一号二條三項には命令又は指令された事項を指して居る然るに前記覚書は則ち覚書であつて命令又は指令ではないこれを同條の指令又は命令と解する事も(ロ)の場合と同樣あまりにも文理解釈を無視して居る。
以上要するに原裁判所は無効の法規に依つて又は法規に基かずして有罪を云ひ渡したるか或は少くとも刑罰法規の解釈を誤て罪とならざるものに有罪を云ひ渡して居るから破棄されねばならない。尚ほ原審裁判所は本刑罰法規が所謂至上命令履行の爲に制定せられたものであるから他の場合と非常に趣を別にして考へなければならないと断言し此考へのもとに言葉の通常の用法をも無視し又は憲法の精神もゆるがせにする如き風を見せて居るけれども左樣な事は断じてあつてはならないと思ふ。
則ち至上命令が單に政府に於て守らねばならんのみならず国民挙つて何よりも先ずこれを守らねばならんものであつて其爲には違憲だとか何んとか云へない事は占領下にある日本としてはもとより当然である事は弁護人も無論よく心得てゐる所であるが政府が国民に対する関係に於ては憲法其の他の制度を嚴守し此法律制度を通じて国民に臨まなければならないのであつて、且つ天皇の名にかくれて人権をじゆうりんした如く至上命令にかくれて政府が其爲すべき処をなさずして其責を国民に負担せしむる樣な結果を將來してはならない事を強調したいのである。